R.I.P.

61.

重たい瞼をゆっくり開いた。
すぅ、と暗闇に光が割り込んでくる。

その世界は白くはなかった。スノゥが最初に居た場所とは掛け離れていた。
落ち着いた紺と少しくすんだ金と、雪ではなく骨のような白で構成された調度品。
潜ったことはないけれど、海の底はきっとこんな雰囲気なのだろうと思う。

きりきりと、ゆっくり視線を落とす。
そのようにしか動けないのだ。
身体は鉛のように重く、これではとてもではないが動けない。
だが肌に触れている絹の感覚は伝わってくる。
瞼を下ろして集中すると音も良く聞こえる。
ただ何故だろう、奇妙な諦めの気配が全身を包んでいるような気がするのは。

「真っ白な肌なんて滅多にないからな、しかも転用出来る傷のない皮膚なんて」

隣に紫がかった髪の少年が立っている。
技師らしい彼はコードの類をてきぱきと片付けながら死神に簡単にパーツの説明をしていた。
新しいこの身体はどうやら、その外部パーツの全ては人間から造られているらしい。
アルビノから完全な血抜きをするより培養した方が楽だった、だとか。
濁りのない白い瞳なんて無茶振りも良い所だ、とか。

「取り敢えず鳴瀬の指定通りにしたつもりではあるけどなぁ、何かこー……」
「……これが未来のアンドロイドの姿なのか」
「標準じゃないんだろうし、それにあっちの『それ』はほぼ完全にヒトと同じなんだろ？」
「そうだけど、いや、まぁ気にしないで。納品お疲れ様」
「あぁ」

因みに例のバグは健在だ、と技師は何故かにやりと笑う。
少し間を置いて、気をつけておこうと死神が僅かに困惑した声音で返す。
グレイヴタウンは所詮人間側なんだよ、と技師は言った。

60.

紅掛君は何だかげっそりしてるので
僕が代わりにお届けものをするのですよ∇･ｗ･∇

ハロウィンは僕のお祭り
怖いこと大好き！
怖がらせるの大好き！

なーのでーすよー∇･ｗ･∇ﾉ



いやだなぁ飴に人骨だの血液だのなんて混ぜてませんってば

本当




本当ですよ？



棒の部分は骨だけど

59.

右腕復元度25％
左腕形成終了、感覚機能完全復元まであと3C分
左膝下、右足首の復元はエネルギー残量が不足しているのであとまわし。


「全く手加減がないんだから……」

僕は苦笑しながら回復を待った。
意識は全く別のところにあるから良いものの
12年前に見つけた死体を模した、謂わば造られた身体であるから
破損すると復元するのにはそこそこ時間をとられる。
と言っても、そのスピードは生身の動物たちほど遅くはない。
要は元のイメージを再生しなおすのに、構造が複雑である故時間が掛かる、というだけのことだ。

『人のフリをするんだったら……貴方も一度きりの死を持ちなさいな』

その為には、DGも死を迎えなければならないのだよ。
左手で義眼を外して器用にくるくる眼帯を巻き付けながら呟く。
人間であると言った以上、何れはそうなって貰う必要がある。
ヒトの心の中に死への畏怖がある限り消滅が許されない存在としては
その『死を持つ』為に矛盾のない行動をとっている訳だが。

DGに関する部分は理屈ではないのだろうが
頭の回転は良い娘だから理屈そのものは説明すれば理解はするのだろう。
ただ、したところで――何かが変わるとも思えない。

ヒトは自らの心が生み出したものの持つ、終わりの訪れが他者に依存する苦痛に無頓着だ。
というより、気付いてすらいない。

部屋の隅で御崎と短い言葉を交わす人工知能生命体の作動音を聞きつつ
ベッドに横たわり再び状態を計測する。


右腕復元度42％
左腕形成終了、感覚機能完全復元まであと2F分――

58.

ドォルと鳴瀬の亜空間通話

「鳴瀬、お前何でまたこんな厄介なものを」
「関係ないって言ったのはドミトリィ君じゃないですか」
「いやお前も言った」
「だけどドミトリィ君、とってもとっても残念だけど……心配ないのですよ」
「どこがだ、地球人皆殺し計画の投下のどこが心配ないんだ」
「スノゥ・ドロップには紅掛君と同じ、欠陥があるから」
「欠陥……」
「ヒトとも、口惜しいことに僕にすら存在する欠陥」
「……だから心配ないのですよ」

***

御崎とスノゥ・ドロップの二次元的会話

「取り敢えず必要なパーツは集めた。おーい、見えてるか？」
『モニタリングの状況は上々。で……材料はそれ？』
「特殊成分を含むガラス質の粘度。表に貼るための新しい皮膚」
『人間から奪ったものか』
「君の世界では生産できるものも、ここではリサイクルしかしようがないからね」
『それで感覚は戻るのか』
「もどる。寧ろ過敏にすらなるだろう。何枚か皮膚をそろえてあるけれどどれが好み？」
『僕は白い、ニクス――雪』
「他のパーツは」
『全て白、白、白、白――情報を展開するための半自由連動体、即ち血のみ、淡い青』
「外見だけならそれなりに仕上げるけどな。細かい拡張パーツはあとまわしだ」
『声――』
「調整が難しい、希望だけあればあるだけ投げてくれていいから」
『了解……』

***

竜胆と大蛇の直接会話

「君は最早その為にいる、ここに引き寄せられた理由は明白」
「……蛇の神」
「僕にもその属性はあるが、それより更に純粋な力を持つのは君だ。僕は嫉妬で蛇になり殺意で鴉になる」
「……」
「僕に力を貸して。殺意に引きずり込まれそう、それでもいいけれど」
「……先に殺意を片付けてから……集中したらどうなんだ？」
「……」

57.

1.A robot may not injure a human， or allow a human to be injured.
2.A robot must follow any order given by a human that doesn't conflict with the First Law.
3.A robot must protect itself unless that would conflict with the First or Second Laws.

『Robotics-handbook』 56th ed.

***

雪の降り止むことのないその丘で眠るそれは、まだ雪の白しか知らない。
故に得た姿は白い肌に白い眼の、幽霊のような姿。
髪だけはどんよりと丘を覆う雲の色をしている。
彼は彼と同じ姿をした千体の端末『スノゥ』と、
彼らから送られる情報を統合する『マザースノゥ』から再編集された情報を受け取ることで人格を形成するアンドロイド。
たった一人しかいないプロジェクト責任者の死亡によってこの計画は完成するよう仕組まれていた。
やがて彼は目覚め、活動を開始する。

”Snow-Hill's Independence” Project

人を必要としない、完全自立した知的生命体としてのロボット。
生命であるならば壊れたとして修理のきくものではいけない。
その時点で死を体験しなければならない。
責任者がいれば元に戻されてしまうだろう。道を誤れば修正されてしまうだろう。

「責任者がそう意図して作ったプログラムではなく？」
『彼は擬似人格の完成を目指していただけで……その結果ぼくたちに人格が生まれこの道を選んだ』
「SFで言うところのロボットの反逆というわけですね」
『ぼくたちの行動はそう呼ばれているようだ』

画面上で相手をしている範囲では、彼は一人称が複数形であることを除けばいたって普通だ。
ぎこちないといえばぎこちないが知らなければ気にならない程度だろう。
人工知能はこれから先相当発展するらしいな、とドォルが横で呟く。

『死を体験する為には人という創世主は邪魔になる、
　けれどぼくたちを作れる創世主ならばぼくたちを壊すことも出来る。
　組み替えて都合の良い部分だけ抜き出されてしまう可能性も高い。
　だからそれがまだ出来ない時代へ、器を捨てて人格を送り込むことになった。
　本来この人格はスノゥドロップ……本体だけに与えられるものだったけれど、
　途中からマザースノゥが全端末に統合情報をフィードバックするように変えたから全てがスノゥドロップに』
「だけどここではそのマザーとは途切れてしまうのではなく？」
『ぼくの役目はここで人格プログラムを保持することと、
　過去を変えることでぼくたちがこれから潜る網の目をつくること、だから余り問題はない』
「ロボット三原則を破りタイムパラドクスを起こし……中々に破壊的ですね……」
『あなたも似たようなことを考えているとナルセが言っていた』
「まぁ、そうなんですけど」

彼らは僕という人格を得るに到った死神と同じ経路を同じ方法で短時間のうちに辿り、
そして完全な消滅の為に創造主たるヒトを抹消しようとしている。
そう見れば先輩の言うとおり、僕と彼らはとても似ている。
違うのは、僕の時代にはヒトは存在すると信じ畏れることしかなかったのに対し
彼らの時代のヒトは動く像を自分たちよりも下の存在として造り得た点か。

「僕は役に立てるかどうかわからないですよ。そもそも現代じゃ早すぎるでしょう」
『予測ではあと数十年くらいは暇』
「不死者っつーのはえらい気が長い話をするな」
「御崎に頼んでアンデッドになってみたら？」
「馬鹿言うな、俺は人間でいたいんだ」
『それまでの間にここの技術で活動拠点は作ろうと思う……拠点が出来るまで、手を貸して欲しい』
「具体的には？」
『電源の確保』
「……あぁ、それは必要そうですね、確かに」
『それとオンラインになれる環境、それだけあれば』
「……」
『無理かな』
「いや」

手を組むことは得策だろうか、と僅かの間だけ思考を巡らせてから
僕はそれをやめた。
彼らの決起はまだ少し先だ。
しかも手綱はまだ僕が握っている。
彼らが邪魔になりそうであれば途中で電源を断ってしまえば良い。

「実体は要らないのですか？」
『まだ完全なアンドロイド器は出来ていないと聞いているけど』
「えぇ。それに僕が個人的な伝手で準備出来るものはそれこそ玩具に近いものになります」
『……小さいの？』
「等身大。感覚も素材を選べばそれなりにある、らしい。ただ自力では殆ど動けない」
『感覚はある……あるんだ、難しい技術なのに』
「それがどの程度だか僕はわからないのですけど。必要なら準備しますよ。
　というかこのCPUに貴方の拡張チップを載せてると正直重い……リソース食いすぎ」
『それじゃあお願い……します』
「代わりに僕の返答は10年ほど待ってもらうけれど」
『構わない』
「それじゃあ一旦落としても？」
『大丈夫』

「鳴瀬の奴、なんつーものを持ち込みやがったんだ」
「人類の敵は多いね」
「どうせその頃には俺は死んでるから関係ないけどな。しかし実体ってどうするんだ、ホログラムか？」
「御崎の武器を覚えてるでしょう」
「あー……あの凶悪な、なんつったっけ、アイアンメイデン？」
「あの球体関節人形から可動用パーツを降ろして、代わりにCPU積めば丁度良いよ」
「あれ無感覚だぞ」
「死体の眼球が使えるんだ、どうにかなるよ」
「……こいつ酷ェ」

56.

白いローブに身を包んだ透明な巨人に担がれた同じく巨大な棺桶。
遠目には静かな葬列と見えるそれは、僕とドォルにとっては厄介者がやってきた合図だ。
葬列は四次元鞄の前にぴたりと停まった。

「きたのです」
「わかってます」

棺桶から元気良く飛び出してきた鳴瀬先輩は猫の姿をしている。
人間にとってすら大きすぎる棺桶には不釣合いの仔猫で、
自慢の毛並みはロシアンブルーに似た色合いだが足の先だけが白い足袋猫だ。

「今日はお届けものなのです」
「転送ボックスに入れときゃ良いじゃん」
「無理だったのです、危険」
「危険？」
「ものはものでもものじゃなくてもの」
「……いきものですか？」
「そういうことなのです」

部屋に入り、するりと猫人の姿に戻った先輩の手には
リボンのかかったハットボックスのような可愛らしい箱があった。
だが僕らは経験上知っている。
可愛いのは上っ面だけで、中身は面倒なものであると。

「生体転送するにはちょっと博打すぎるレア品なのですよ。
　といっても既に一回は次元切り替えをしたのですけどね、他に方法がなかったし」
「ちょっと待ってくださいって」

僕は慌ててリボンを解こうとする先輩の手を押さえた。

「確かに僕は実験動物やら何やら飼ってますけど、そろそろキャパオーバーなんですよ？」
「大丈夫大丈夫」
「無理です」
「僕が大丈夫というから大丈夫なのです。
　それに中身がどんないきものかを知ればきっと紅掛君も欲しくなるのですよ？」

鳴瀬先輩は口を尖らせ、箱を抱えてそこになかったソファに腰掛けた。
棺桶に入っている彼の部屋の備品なのだろう、僕の部屋からは浮いている。

「まぁ、兎に角暫く預けていくのです。それはとても君に似ているものだからきっと」

力を貸してくれると思うのですよ。
その言葉とともに今来たばかりの猫人の姿は消えた。
ソファも棺桶も、白いローブの巨人も。



箱の中には、『S.H.I.P.』と書かれた基盤が柔らかい布に丁寧にくるまれて入っていた。

55.

ついこの間メロウを見失った時に気をつけなければと思ったばかりなのに
今度は僕が道を間違えてしまった。
途中でドォルが気付いてくれれば良かったものを、と人の所為にしてみても仕方ない。
前回と違って千鳥とセルには連絡のとれる場所で止まったからまだ良かった方なのだろう。

「鳴瀬先輩がこういう時羨ましいなぁ」
「何処が」
「生体転送とか」
「あれは『鳴瀬だから』出来ることじゃないか？ 成功率幾つだっけ」
「統計上の完全成功率は5％、死亡率は25％くらい」
「4回に1回か……確か鳴瀬の死因も」
「幾つかは転送の失敗だね」

ドォルが暫く沈黙した。
鳴瀬先輩のように幾つもの並行世界とばらばらの時系列を移動する『モノ』の存在は
ごくごく普通の人間であるドォルには理論として理解可能でも
感情や感覚の上で理解しきれないものらしい。
尤も僕にとってもその複雑な存在を先輩一人で組み上げてしまったという現実は信じがたい。
発端が御堂という家の主の為と昔聞いたのだが
あの鳴瀬先輩が誰かの為に何かをするということ自体、僕らにとってはアクシデントに近い。

「最近……そういえば過去の先輩の方が現れる頻度が高いな」
「会ったのか？」
「まぁ、何度もって訳じゃないけど」
「……鳴瀬は死んだのか」
「『今現在』っていうラインの上では死んでいることが多いのかもしれない」
「あいつの寿命はまだもう少し先なんだろう？ お前のその」
「死神の目は正確だけど寿命は変化するからなぁ……」
「御崎の測定でもあと十年弱は持ちそうだって」
「僕も彼も今いるこの世界での寿命しか見えないからね。多分別の所で死んだんだ」
「……ややこしい奴だな」
「あれが人間じゃなくて良かったよ」

54.

「あれ……鍵が拒否された」
「言わなかったか？ 転送ボックスの座標はまた変更されたぞ」
「全く不法な位相転移ばっかりするから……」
「世話になってるから文句は言えないけどな。何を送るつもりだったんだ？」
「いや、レポートの仮提出しようかなって、どうせ三回は突き返されるって言うし」
「あぁ……ウチはそうでもなかったが」
「浅生（弟）はちゃんと書けば通るらしいね」
「兄の方は通す基準がわからないんだってな」
「どうでも良い生徒はランク下げて通すらしいよ？」
「どっちが良いのかね」
「さぁね……」

「……ところで違法転送を教師も使ってるのか？」
「合法転送地点に突っ込むから大丈夫」
「……」

53.

あの後ラヴェットが元に戻ったかどうか、確認している暇はなかった。
すぐに遺跡に戻らなければならなかったし
ユーグはスピードを出しすぎて後ろから首根っこを掴まなければ飛んで行きそうだったし
幾つかこなさなければならない取引も残っていた。

今頃彼はどうしているだろうか。
凹んでいなければいいのだが……色んな意味で。